寛容のパラドックス

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先日、「寛容のパラドックス」という話を新聞で見て、
それが頭から離れません。

寛容な社会を維持するには、不寛容に対して不寛容であらねばならない
というもので、英国の哲学者カール・ポパーの
言葉だそうです。

藤四郎は、いろんな考えや嗜好を持った人たちがお互いを
認め合い、排除されないような社会が理想だと考えています。
ただそのような考えを認めない人もいます。
移民、同性婚といったことが典型でしょうか?

ポパーの言葉はそのような不寛容に対しては、不寛容でなければ
寛容な社会は維持できないといっています。
寛容主義の人も不寛容にならなければいけないのだと…

確かにパラドックスです。
寛容でありたいのに不寛容にならなければいけないのですから。

この言葉を藤四郎は、単なるパラドックスだという指摘ではなく、
寛容主義だからといって、不寛容をスルーしてはいけない、
不寛容とは戦わなければいけない

と言っているものと感じました。

多様な意見を尊重するという言い訳で、これまで身近な不寛容を
許し続けてきたのではないかと、ちょっと反省しました。

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